


1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼした合戦の戦火で焼失しましたが、江戸中期の1804年(文化元年)、中興の僧によって本堂が再建されました。現在の本堂は当時のままで、谷保天満宮と並んで、国立で最も古い建築の一つです。屋根だけは戦後は一部トタン張りで雨漏りを防いでいたそうですが、1981年(昭和56年)になってついに修理され、それまでの茅葺から銅葺きになりました。本尊は釈迦如来が安置されています。


ところがこの観音堂は、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)10月まで、赤坂区氷川国民学校の学童疎開や戦災孤児の受け入れ施設に使用され、堂内で煮炊きしたために、壁も天井画も煤で真っ黒になっていました。 そこで、住職とともに心を痛めていた地元の「国立の自然と文化を守る会」のお世話で、マンダラ画家として著名な国立在住の前田常作氏(元武蔵野美術大学学長・1926-2007)が新たな天井画を描くことになりました。 3年の歳月をかけて完成した天井画は、濃紺の深い宇宙の色をベースにした8×8=64枚の色鮮やかなアクリル画。そこには天女や花たちのほかに、東洋の十二支や西洋の十二星座もあり、文化や宗教の枠をも超えた光と平和のメッセージとなっていました。


【取材・執筆】 田中えり子
【写真】 横坂泰介、くにたち総合ポータルサイト事業協議会
