市民まつりプランがスタートした1960年代半ばの国立は、大きく分けて歴史と伝統がある谷保地域の農業者たち、昭和初期に開発された国立駅周辺の商業者たち、昭和40年代にできた団地に移り住んだ住民たちの3つから構成されていました。新旧住民それぞれに抱える事情の違いや利害などがあって、まち全体としてのまとまりがあるとは言えない状況や、誤解を怖れずに言えば少々殺伐とした雰囲気もあったといいます。 当時、国立を活性化させるためには、みんながひとつにまとまらなくては・・・と考えた青年たちがいました。住民間の融和を図り仲良くやっていくきっかけづくりに、できることはないかと模索したのです。 それがこの市民まつりであり、やがてさくらフェスティバルやどんど焼きも、同じ流れの中で生まれていきます。
その根底には、まちが生まれ変わり発展していく中で、その礎を築いた先達が遺した歴史やものへの強い思いがありました。変革の流れの中で、市内の小学校にしまい込まれたまま忘れ去られることのないように、形あるものが失われてしまうことのないように、記録し展示する郷土館を造りたい、という願いでした。市民まつりでの収益を郷土館建設に役立てたいと考えていたのです。 郷土資料館は後年、行政によって「くにたち郷土文化館」として建設されましたが、3つのイベントはすっかり定着し、今でも続けられています。 それはまた、市民間のネットワークづくり・強化、商店の活性化、人々の生き甲斐づくりをも目指すものであり、市民みんなを参加者として巻き込んでみんなで元気に活気あふれる街を築こうとする試みでもありました。その積み重ねが、今日のコミュニティの基礎なしているにちがいありません。
当日、会場となる大学通りは歩行者天国になります。国立市最大の商業祭「天下市」(国立市商工会青年部主催)と一橋祭(一橋大学一橋祭運営委員会主催)と同時開催となりますから、それはそれは賑やかです。 午前9時30分、市長をはじめ、市内各種団体がずらりと並んで進むパレードからスタートします。 舞台では踊りや歌、パフォーマンスが次々と演じられ、緑地帯にはたくさんのお店が並びます。 飲食関係の出店が多いだけに、衛生面、火の元、ゴミの始末には気を遣うところ。。 保健所や消防署の見回りや指導も入ります。出店者には水場が限られているので現場仕込みはできない、各ブースで消化器を用意する、ゴミの片付けなどが、出店者説明会の段階から守るべき物事に関する共通認識・理解が徹底されます。 さらに終了30分前には、クリーンパレードと称する参加者全体での後始末を開始し、会場となった大学通りや緑地帯の原状復帰に向けて力を合わせます。さらにさらに翌日には実行委員長と事務局長が見回りをすると言いますから、徹底しています。 そんな真摯な取り組み方があるからこそ、長年にわたって支持されてきているのでしょう。
【取材執筆】小山信子 【写真】くにたち一芸塾写真クラブ