【3月下旬】国立の桜物語

国立の桜物語

大学通りの桜を植えたのは誰?

大学通りの桜昭和初期、箱根土地(株)によって開発された幅24間の広い大学通りは、車の通行も少なく殺風景なものでした。そこで当時の町会・国立会では、昭和8年、皇太子(現明仁天皇)のご誕生を記念して、桜並木を植樹することを決定します。 昭和9年から10年にかけて、幹事として「関屋」の初代・関喜太郎氏が会計を、また箱根土地の社員・小野照三氏が苗木の買い付けを担当、国分寺や小平に出かけて行ってソメイヨシノなどの苗木を購入しました。そして興銀グラウンド(現澤登キウイ園)の管理人だった小口金太郎氏が実際に植樹をしたそうです。
大学通りの桜さらに、関栄一氏(「関屋」二代目)ほか当時の谷保村青年団国立支部の青年たちが、根元の草むしりや鶏糞などの肥料を施して、桜の世話をしました。
さくら通りの命名は公募で さくら通りの桜昭和42年(1967年)には、富士見台団地の完成に合わせて建設された新しい道路の両側に、新たに200本以上のソメイヨシノが植えられることになりました。 さくら通りの桜このときは苗木ではなく、すでに3メートルほどに育った桜の木々。ちょうど町から市へと移行した国立市の委託を受けて、造園業「植繁」の親方・鈴木正男氏を中心に植樹作業は進められました。昭和57年(1982年)には、公募によって「さくら通り」と命名されます。 その後、さくら通りと交差する矢川通りにも73本の桜が植えられ、国立市内のJRの三つの駅をつなぐ美しい桜並木が完成しました。 桜を守り、育てる活動へ 桜守大学通りの桜は現在(2011年)約170本ありますが、その多くが樹齢75歳を超え、人や車の増加など環境の変化もあって、樹勢が衰えつつありました。 そこで2000年、国立市との二人三脚で市民ボランティア組織「くにたち桜守」が誕生します。専門家を招いて勉強しながら、桜の根元に肥料となるムラサキハナナを植えて根回りを保護、害虫などのチェックや、さらに新しい苗を育てることも始めています。小学校での桜守授業も好評で、桜をきっかけにして、自然と環境を未来へつなぐ活動を展開しています。 桜が好きなあなたも参加できますよ。 くにたち桜守公式ホームページ
[文責] 田中えり子 [写真] くにたち一芸塾写真クラブ横坂泰介、くにたち総合ポータルサイト事業協議会