さらに、関栄一氏(「関屋」二代目)ほか当時の谷保村青年団国立支部の青年たちが、根元の草むしりや鶏糞などの肥料を施して、桜の世話をしました。
昭和42年(1967年)には、富士見台団地の完成に合わせて建設された新しい道路の両側に、新たに200本以上のソメイヨシノが植えられることになりました。 このときは苗木ではなく、すでに3メートルほどに育った桜の木々。ちょうど町から市へと移行した国立市の委託を受けて、造園業「植繁」の親方・鈴木正男氏を中心に植樹作業は進められました。昭和57年(1982年)には、公募によって「さくら通り」と命名されます。 その後、さくら通りと交差する矢川通りにも73本の桜が植えられ、国立市内のJRの三つの駅をつなぐ美しい桜並木が完成しました。 大学通りの桜は現在(2011年)約170本ありますが、その多くが樹齢75歳を超え、人や車の増加など環境の変化もあって、樹勢が衰えつつありました。 そこで2000年、国立市との二人三脚で市民ボランティア組織「くにたち桜守」が誕生します。専門家を招いて勉強しながら、桜の根元に肥料となるムラサキハナナを植えて根回りを保護、害虫などのチェックや、さらに新しい苗を育てることも始めています。小学校での桜守授業も好評で、桜をきっかけにして、自然と環境を未来へつなぐ活動を展開しています。 桜が好きなあなたも参加できますよ。 くにたち桜守公式ホームページ
[文責] 田中えり子
[写真] くにたち一芸塾写真クラブ、横坂泰介、くにたち総合ポータルサイト事業協議会